6月後半、お伺いしてきた長崎旅。思いがけず、世界遺産、そして世界遺産候補に触れる旅にもなりました。先に記憶をしっかり書き留めて忘れないようにせねば~とぶらぶらあちこちしてきた長崎3泊4日旅を振り返りまっす~
ぶらり長崎旅概要
今回の三泊四日はざっくりいうとこんな感じでした。
1日目。
世界遺産と平和学習の一日。
大浦天主堂~グラバー挺~原爆資料館~平和公園~浦上天主堂~山王神社
2日目。
世界遺産堪能。行きたかった軍艦島へ!
3日目。
佐世保ハウステンボスへGO!変なホテルに泊まって朝から夜まで遊び倒しました。
4日目(最終日)
森きらら(動植物園)&海きらら(水族館)で癒されてまいりました。
そして。全然知らずに「大浦天主堂」さんへお邪魔してしまったのですが…
ちょうど関係者さんたちはドキドキのタイミングだったようで…(お邪魔したのは6/21)
2018年6月30日に
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
世界文化遺産、登録!!
されました!
おめでとうございます~~~!!
おめでたい~~~!!
今年2018年4月にオープンした、大浦天主堂の横に併設されたキリシタン博物館でガイドをしていただいたあの笑顔の素敵なダンディおじいちゃん、嬉しかっただろうなぁ…歴史をほとんど知らずに訪れた無知な自分に、貴重なお話をたくさんいただき、その説明に心が揺さぶられました。わかりやすく熱を持って教えていただけて感謝です。これからたくさん人が増えて、もっともーっと忙しくなるとおもいます。体に気を付けて!!(●●木さんありがとうございました~!)
ではまずは一日目前半。世界遺産の大浦天主堂をメインに振り返りたいと思います。
羽田から長崎へ
朝一のJAL便。羽田空港から長崎空港へ。羽田からは朝7時20分発。天気は、梅雨入りしているので空はどんより。飛行機揺れないといいなぁ…
離陸して雲を抜けるときにちょーっとだけ揺れたけど、雲の上に出れば青いの空です。
ドリンクサービスでいただいたコーヒーをすすりながら「まっぷる長崎」を読み、テンションアーップ。長崎も近くなり窓外を見れば、たくさんの島が見えます。本当に島が多い!!(そして思い出す福山さんのTVCMを思い出しました~福山雅治島は見つからなかったけどw)
無事到着。飛行時間は1時間50分。あっちゅう間でした。
JALさんの黒糖ミントが美味しい~あれどこに売ってるのかしら…って調べたらありました。アマゾンさんに。
この飴、ほんのり後味がミントで美味しいので、JALに乗った時は2,3個いただきたいとおもいます(それぐらいなら普通よね?)
長崎空港に降りた―つ!さっそくゆるキャラ発見~~!!サッカークラブチーム「V・ファーレン長崎」のキャラクターでした。名前はヴィヴィくん。Vマークの角(触覚?)も可愛いなぁ~
一日目は長崎市内観光だったので、レンタカーは使わず。リムジンバス(高速バス)で市内まで移動です。
空港を出たところすぐにあるバスのチケット売り場。バスの本数も飛行機に合わせて結構出てるのが有り難い。バスは満席になっても次のバスに乗ればいいしね(^^)
バスに揺られて、1時間もしないで長崎市内に到着です。
予定よりもかなり到着時間も早いし、ホテルで荷物をお願いしようとしたら。もう部屋大丈夫です~ってことで、チェックインさせていただきました。
路面電車の一日券を教えてもらおうとフロントに確認したら、ホテルでも取り扱いしてました。ラッキーでした!!
長崎市内は路面電車で移動
ホテルで一日乗車券を手に入れた我々。怖いものはありません。
路面電車の一日乗車券は大人一人500円(都度払いの時は大人一回120円)です。
いろんなタイプの路面電車あります。
停留所。バス停のように停留所があるわけなんですが、名前に耳馴染みがないのがちょっとね…
ガイドブックと照らし合わせたり、電車のアナウンスを聞いてあちこちしてたんですが。
今年2018年8月1日から停留所名が変わります、とのこと。わかりやすくなって観光客としては有り難い。
一泊目のホテル「ホテルJALシティ長崎」さん近くの路面電車乗り場「築町」から揺られること10分ほど。
「大浦天主堂下」で下車します。
歩いてすぐ右手にあったモダンな建物。創業明治32(1899)年「ちゃんぽん」「皿うどん」発祥のお店「中華料理 四海樓」さんです。
さらに目的地へ向かうべくてくてくと歩いて行くと…
参道のようにお店が立ち並んでます。
坂道の途中でゆるキャラ発見!
角煮まんじゅうのゆるきゃら、「角煮まんじゅうちゃん」
可愛いわ~ほっこり。ブログもやってた!角煮まんじゅうちゃん
ちなみに角煮まんじゅうは、肉まんの皮で豚の角煮が包んである食べ物で、長崎名物です(*^^*)市内とかお土産屋さんでよくみかけました!中の角煮が柔らかくてジューシーなのです!しかも、甘い角煮のたれが皮に染み込んでるわけで…
つまり。
美味しかったー!
岩崎本舗さんの店内には、この『角煮まんじゅうちゃん』ストラップとかクリアファイルもあります。ツイッタに投稿したらクリアファイル一枚プレゼント!ということで投稿していただきました。可愛い。
お店でいただいた角煮まんじゅうも美味しかったので、実家へ冷凍で送りました。
丁度夏のギフトシーズンということで3000円以上で送料500円!というキャンペーンをしていたのでそれ以上になるようにお買いものしたんですけれど~数日後お邪魔した佐世保のハウステンボスでは送料無料でした。ぐぬ。
ちなみにこのお店にはウルトラ怪獣散歩でも遊びに来てたお店でした!
そして坂道にはたくさんのカステラ屋さん。お土産に買うべく、小さい箱を数件で買って食べ比べました(それは別エントリーで)
★祝★世界遺産!!大浦天主堂
カステラをつまみつつ坂道をのぼったところにある大浦天主堂さん。
グラバー園の手前にあります。
日本で現存するなかで一番古い教会建築物。
国宝です。1933年に指定されています。
国宝って今までのイメージでいうとお寺とか、陶器とかしか接したことがなかったので、新鮮。
そして世界遺産(*^^*)
(お邪魔した時は世界遺産候補だったけど)
大人一人1000円。
国宝、世界遺産となった教会の中を見学できるだけでなく、お隣のキリシタン博物館も見学するができます。しっかりとした資料「大浦天主堂物語~信徒発見から150年~」もいただけます。この冊子で国宝「大浦天主堂」の成り立ちと歴史が勉強できます!わかりやすいマンガも入ってて力が入ってます
まずは大浦天主堂とはってところから。
一つは、1597年日本で最初に殉教した日本二十六聖人たちに捧げられた教会です。そのため、大浦天主堂は殉教の地である西坂に向けて建てられています。
もう一つは、1865年におきた信徒発見です。大浦天主堂が1864年にたてられ、翌1865年2月から公開が始まった一ヶ月後に浦上の隠れキリシタン達が信仰告白をして名のりを挙げました。プティジャン神父は大喜びでフランス、ローマに報告しています。
実は大浦天主堂を見学した後にお伺いしたキリシタン博物館。平日で人も少なかったこともあって「ガイドしましょうか?」とガイドさんのほうからお声がけいただきました。ありがたい。有り難くお願いさせていただきました。
土日とかはかなり人が多いようでポイントで説明するばかりでなかなか全体をガイドできないとガイドさんか仰られていたので、かなりお休みのときは観光、そして修学旅行生が多いと思われます。
しっかりとお話をお伺いできたので、その辺も書きとめ。メモ!
元々は殉教した日本二十六聖人たちに捧げられた教会なんですが、3月17日の出来事のほうが世界的にも有名なんですとお話されていました。
潜伏キリシタンの方がこの大浦天主堂にやってきたのは公開が始まった一か月後。
信徒さんが「ワタシノムネ、アナタトオナジ」と告白して、信徒の名乗りを上げたのが3月17日でした。キリスト教が禁教されていて神父さんが一人もいない中、代々隠れて信仰されていた信者さんたちと神父さんとの邂逅…。
私は宗教を意識したことがないんですが胸が熱くなりました。神さまとの出会い…震えるとおもいます…(とっても大好きな本当に大好きな作家さんが目の前にいたら震えるもの…ってスケールが全然違うけどね…)
そのシーンを再現したのが、このレリーフ。
天主堂に上がる手前、左手にあります。
行きはなんの様子かね~とイヌダ君と話してたんですが、見学した後、改めてみると胸が熱くなりました。
レリーフの近くには、150年ぶりの信徒発見となったらプティジャン神父さまの像もありました。
1978年にローマ教皇に就任されたヨハネ・パウロ2世の像も。ヨハネ・パウロ2世も西丘の殉教地、そして大浦天主堂を訪れたんだとか。その時の歓迎集会の様子も冊子に載っています。
ガイドさんからきいたこぼれ話。
実はこの大浦天主堂に潜伏キリシタンの方々がいらした一か月前。プロテスタントの教会の方にもお伺いしていたらしいです。その時も喜んだようなのですが、神父さんに奥様がいると聞いて、違う、、となったんだとか。最初に信徒さんが会ったのはプロテスタントの牧師さんで、カトリックではなかったと。
そうか、カトリックとプロテスタントは宗派が違うのか!そして、牧師様と神父様って違うのね…!と勉強させていただきました。階級なのかと思ってた(無知なのがどんどんばれてくのもブログのいいところか…どんどん無知を出していくぞ…!)
「天主堂」と漢字で掲げられた教会の扁額は、宣教師が永いこといなかったこの地にもしかしたら信徒さんが残っているかもしれない…わかってくれるかもしれない…ということで掲げられたそうです。
天主堂の中では録音された天主堂の解説が流れて響いてたんですが、とても静かにかんじました。我々の他に一組。しばらく座って解説に耳を傾けました。温かい空間にも感じてきました。
天主堂の中は撮影禁止だったんで、大浦天主堂さんのHPで中は是非確認いただきたいです。ステンドグラスの感じとか建物の感じとかとっても温かい。ステンドグラスは、時代ごとに修復されて3種類が混じってるんだとか。そのうち一つは1945年8月9日に投下された原爆の被害によって壊されて修復されています。
信徒が「サンタ・マリアの御像はどこ?」と尋ねたマリア像もこの天主堂の中、右側にあります。下から見上げるマリア様。胸に来るものがありました。電気のある現代に生きる自分には薄暗いとおもったけど、当時はそれが当たり前でマリア様は輝いてみえたんだろうな、と(求、ボキャブラリー)
殉教した日本二十六聖人に捧げられた大浦天主堂
殉教した日本二十六聖人にささげられた大浦天主堂。この二十六聖人についても少し。
豊臣秀吉が処刑を命じられ、京都や大阪で捕まった、フランシスコ会の宣教師さん、イエスズ会の修道士、そして信者さんたち24人が引き回され、長崎まで真冬の道を歩かされたそうです。途中、その殉教者さんに同行していた二人の信者さんが加わり(この辺のガイドさんの説明を思い出すだけでちょっと涙が出てしまうのは何故なのか…)26人になりました。
引き回されるとき、両耳と鼻を削げ、という命令だったようですが、なんとかという方の尽力で片耳だけ落とされたようです(それでもむごい…)
そして26人は、殉教した地につき、1597年2月5日、長崎で十字架に…その時の殉教図がキリシタン記念館の1階に飾られています。観るだけで胸が痛くて息が苦しくなりました…周りにはたくさんの信者さんが見守っていました。殉教されたかたの衣服などは、信徒が持ち帰ったそうです。
大浦天主堂隣のキリシタン博物館
キリシタン博物館では、たくさんの資料があって、ガイドさんが丁寧に説明してくれました。踏絵のレプリカもあって、教科書でみたやつだーとミーハーしちゃって反省;
踏絵は年に一度あったらしく、お正月にお着物をきて踏絵に向かったりするような、一種のイベントのようになっていたようです。だんだんと形骸化してきて、政策のなかでも早くに廃止されたとお話いただきました。
展示物で観音像や花瓶に棒を入れられているものがあったんですが、それはマリア様に見立てられたものでした。密かに信仰を守った信徒さんたちがそれに向かって祈ったと聞き、大浦天主堂で初めてマリア像にあったときの衝撃はいかほどなのか…と。私が今のこの時代で生きて行くなかで、そういう感覚にあうことは一生ないだろうとおもいながら、ブログを書きながらガイドさんの話を思い出しました。
途中、修学旅行のグループと思われる女の子たちがさーっと通過していったんですが、今のこの年だからこそゆっくり思うことができるんだな、としみじみです(修学旅行は京都だったけど、どれだけ神社とか回れるかに焦点を当ててて歴史とかまったく考えてなかったもんなぁ…)大人の修学旅行ってキーワード、考えた人、ナイスだわ。
ちなみにこの天主堂さんの隣に建っているこの「キリシタン博物館」なんですが、昔の羅典神学校と旧長崎大司教館の二つを使用されています。
旧羅典神学校は明治以降に神学生がラテン語で授業を受けた場所で、すべてラテン語だったらしいです。お話いただいたガイドさんも小さいころに必要なラテン語を覚えされられましたとおっしゃられてました。そういうところからも長崎にはキリスト教が根付いてるんだな、と思った次第。
そして、大浦天主堂にお邪魔したなら、日本二十六聖人が殉教した地(西坂の丘)にもお伺いすればよかったな、とこのブログを書きながら思いました。長崎、これは再び参らねば…
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は12資産から構成されてます
最後に、2018年6月30日に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産になった大浦天主堂。
この「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」について少し。
17世紀から19世紀の2世紀以上にわたるキリスト教禁教政策の下で、ひそかに信仰を伝えた人々の歴史を物語る他に例を見ない証拠です。長崎と天草地方の潜伏キリシタンが「潜伏」したきっかけや、信仰の実践と共同体の維持のためにひそかに行った様々な試み、そして宣教師との接触により転機を迎え、「潜伏」が終わりを迎えるまでを12の構成資産によって表わしています。
12の構成資産は、
国内に宣教師が不在となってキリシタンが「潜伏」するきっかけとなる出来事が起こった場所原城跡
キリシタン大名が建てた「原城」の跡地。島原天草の乱でキリシタン農民3万7千人が幕府軍と戦い、ほぼ全員が殺害されました。
禁教期に何を拝んで信仰を実践していたのかを示す場所
平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)
平戸の聖地と集落(中江ノ島)⇒聖水を採取する場所
天草の﨑津集落
外海の出津集落
外海の大野集落
どのような場所を選んで共同体を維持したのかを示す場所
黒島の集落
野崎島の集落跡⇒昭和46年に信者さんがすべて離党して廃堂
頭ヶ島の集落
久賀島の集落
宣教師との接触により転機を迎えた場所
大浦天主堂
「潜伏」の終焉を示す場所
奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)
以上の12カ所。そのうち、8教会(そのうち2つは廃止された教会)が含まれています。
地図は、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産のホームページからお借りしました。
長崎から熊本に掛けての広い範囲に分布しているので、まとまった時間が取れるようになったら、またゆっくりお邪魔させていただきたいです。長崎、奥深い。
そして、ここで「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」は、違うということを知りました。「隠れキリシタン」しか知らなかったよ…
潜伏キリシタンは、禁教期にも16世紀半ばに伝わったキリスト教の信仰を続けていた信徒さんたち。
隠れキリシタンは、キリスト教が解禁となった19世紀後半以降も引き続き潜伏キリシタン以来の信仰を続けた信徒さんたち。
1865年3月17日にこの大浦天主堂に訪れた方々は潜伏キリシタンということですね。
大浦天主堂、キリシタン博物館。1時間半ぐらい滞在させていただきました。長くなってしまった。じっくりお伺いできてよかった…
お付き合いありがとうございました!
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